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AIが便利になるほど、人間の「誠実さ」が試される 2

AIが便利になるほど、人間の「誠実さ」が試される 2

誰かの苦労を、自分の「楽」に変えていいのだろうか

最近、SNSを見ていて、妙に気になることがあります。

AIで生成された画像を見て、

「なんか、Oracles Breathっぽい……」

と思うことが増えました。

一枚だけなら、

「まあ、偶然似たのかな」

で終わったと思います。

でも、Threadsだけではなく、TikTokやYouTubeなどでも、似た雰囲気の画像が目につくようになってきました。

色合いだったり。

光の入り方だったり。

幻想的だけれど暗すぎず、風が通っているような空気感だったり。

もちろん、それがOracles Breathを参考にしたものなのかどうかは分かりません。

誰が誰を参考にしたのか。

どこかから派生したのか。

それとも、たまたま似たところへ辿り着いただけなのか。

そこは分かりません。

分からないものを、

「私の真似だ」

と決めつけるつもりもありません。

でも、

なんか似てるんだよなぁ……。

これが何度も続くと、段々ムカついてきて、

超ムカつく。

になっている。

AIで作ったものだから、誰のものでもないの?

Oracles Breathで使っている画像にも、AIで作ったものがあります。

だから、

「AIが作った画像なんだから、誰のものでもないでしょう」

と思う人もいるかもしれません。

でも、私にはそういう感覚はありません。

一度プロンプトを入れて、出てきたものをそのまま使っているわけではないからです。

頭の中にあるものに近づけるために、

「違う」
「もう少しこう」
「そこじゃない」
「これは要らない」

などと、何度も指示を変える。

画像を見て、また修正する。

さらに指示を足す。

上手くいかなければ、またやり直す。

そうやって何度も試行錯誤して、少しずつ、

「これがOracles Breathだ」

と思える世界観を作ってきました。

AIを使っているとはいえ、そこに至るまでには、人間側の時間も思考も試行錯誤もあります。

AI生成物についても、

「AIが作ったから、人間の創作は一切ない」

と単純に割り切れるものではありません。

人間がどの程度創作に関わったのか。

どのような指示や修正を積み重ねたのか。

そうした部分が創作への寄与として考えられることもあります。

つまり、

AIを使ったからといって、人間が何も作っていないことにはならない。

私はそう思っています。

公開した瞬間、その先は自分では分からない

そして今回、もう一つ気になったことがあります。

私は、TikTokやYouTubeなどにも、Oracles Breathの画像や動画を公開しています。

公開している以上、当然、誰でも見ることができます。

保存することもできる。

スクリーンショットを撮ることもできる。

そして、その画像をAIに入れて、

「この雰囲気で作って」

と頼むこともできます。

さらに、その人がAIの学習利用をONにしていた場合、そのやり取りがモデル改善に使われる可能性もあります。

つまり、自分では学習に使わせない設定にしていたとしても、誰かが自分の公開作品をAIへ持ち込んだ先までは、自分ではコントロールできない。

もちろん、実際に私の画像がそうやって使われたのかは分かりません。

最近見かける似た画像が、そこから派生したものなのかも分かりません。

でも、そういう経路が成立してしまう。

そこが、ものすごく嫌だと思う。

私が嫌なのは「参考にすること」ではない

誰かの作品を見て、「素敵だな」と思う。

影響を受ける。

そこから自分なりのものを作る。

これは昔からあることです。

私が嫌なのは、それではありません。

AIを使ったコンテンツ制作では、同じ分野で反応の良い動画や売れている動画を複数集め、構成、見せ方、タイトル、話の流れなどを分析し、それぞれの良いところを組み合わせて、新しいコンテンツを作るという方法があります。

確かに効率はいいでしょう。

既に結果が出ているものを使えば、失敗も減らせます。

でも私は、この方法がどうにも好きになれませんでした。

今回、その理由を言葉にすると、

誰かが時間をかけて積み上げた苦労を、別の誰かが自分の「楽」に変えて、その成果だけを自分のものにしてしまう。

そこが嫌。

最初に作った人は、何が正解か分からないところから始めたかもしれない。

何度も失敗したかもしれない。

試して、直して、また失敗して。

その中からようやく、

「これは反応がいい」「満足の行く作品」

というところに辿り着いたのかもしれない。

でも後から来た人は、その結果だけを取り出して、

「これと、これと、これを組み合わせればいい」

「AIに見せて同じような画風で描いて」

とやればいい。

そうすれば、そこまでの遠回りをしなくて済みます。

それを、

「効率化」

と言ってしまえば、確かにそうなのかもしれません。

でも私には、

誰かが苦労して積み上げたものを、自分は苦労せず持っていく行為に見える。

法律上どうなのか、という話とは別です。

あくまで私の感覚としては、

泥棒と大差ない。

そう感じてしまうんです。

成果だけ持っていって、そこに至るまでの苦労は背負わない。

私は、それが嫌なんだと思います。

「そんくらい良いじゃん」の、その「そんくらい」

こういう話をすると、

「それくらい良いじゃん」

と思う人もいるかもしれません。

でも私は、この

「そんくらい」

という言葉も、昔から引っかかります。

よく、

「そんくらいやってくれたって良いじゃん」

と言う人がいます。

でも、

本当に“そんくらい”の手間なら、自分でやればいい。

他人にやってもらう時だけ、その手間を小さく見積もる。

自分が負担しない時間だから、

大したことではないことにする。

これも同じだと思います。

誰かの画像を少し参考にするだけ。

誰かの動画を少し分析するだけ。

誰かのアイデアを少し借りるだけ。

一つ一つは、

「そんくらい」

に見えるのかもしれません。

でも、その「そんくらい」を毎回誰かに負担させて、自分だけが楽になっていく。

その時、

自分が省いた手間は、本当に消えたのか?

というと、それは違うと思います。

その手間を、誰か別の人が先に払っているだけです。

これはAIだけの話ではない

ここまで考えて、ふと、伝統工芸の世界にも似た構造があるなと思いました。

職人が何年、何十年とかけて身につけた技術。

試行錯誤して作り上げた意匠。

素材の選び方。

加減。

細かな工夫。

外から見れば、一つの商品です。

でも、その商品が出来上がるまでには、表からは見えない膨大な時間があります。

ところが、出来上がったものの「売れそうな部分」だけを取り出し、大量生産できる形に置き換え、もっと安く、もっと早く、似たものを作ることはできます。

買う側から見れば、

「似ているなら、安い方でいい」

となるかもしれません。

でも、最初のものを生み出した職人は、その値段になるまでの時間も、技術を身につけるまでの失敗も、ずっと背負っています。

後から来た側は、

完成した答えだけを使うことができる。

これも結局、誰かの苦労を、別の誰かのコスト削減や利益に変えている構造です。

もちろん、すべての企業や商品がそうだと言いたいわけではありません。

でも、

誰かが積み上げたものを、そこに至るまでの時間ごと無視して「使える部分」として回収する。

この構造は、昔からあったんだと思います。

AIは、それを新しく生み出したわけではない。

ただ、

ものすごく簡単に、ものすごく速くできるようにした。

そこが違う。

自分の手間には値段をつけるのに

そして、ここにも私は矛盾を感じます。

今は何でも、

利用料。

手数料。

管理費。

月額料金。

サブスクリプション。

と、

自分たちが提供した価値には、きっちり対価を求めます。

サービスを使うなら利用料。

仲介したなら手数料。

管理したなら管理費。

自分がかけた手間には、ちゃんと値段をつける。

それ自体は当然だと思います。

でもその一方で、

誰かが何年もかけて積み上げた技術や、

表現や、

ノウハウや、

世界観や、

試行錯誤については、

「公開されているから」

「参考にしただけだから」

「完全なコピーじゃないから」

と、

まるで、当然の如く、無料で使える資源のように扱う。

自分の手間には手数料を取る。

でも、他人の手間には手間暇賃を払わない。

自分の価値には値段をつける。

でも、他人の積み上げた価値は無料で使う。

なんだそれ。

と思う。

だから最近のAI情報動画が面白くない

ここまで考えて、最近感じていた別の違和感とも繋がりました。

最近のAI情報動画、正直、面白くないものが増えた。

あくまでも、個人的な感想ですが

新しい情報を扱っているはずなのに、なぜか、ずっと同じ動画を見ているような感覚になります。

タイトルが似ている。

サムネが似ている。

導入が似ている。

話の流れが似ている。

煽り方も似ている。

そして最後にはLINE登録。

あまりにも似ているので、私は最近、

誰の動画を見ているのか分からなくなることがあります。

実際、動画を見て、

「ちょっと登録してみようかな」

とLINE登録してから、

「あ……この人、前に“あかんかった人”やん……(:3」∠)」

となったことが何度もあります。

🤣🤣🤣

ここまで来ると、

マーケティングとして、本末転倒ではないでしょうか。

売れるために、個性が死んでいる

本来なら、発信を続けるほど、

「あ、この人だ」

と分かるようになっていくはずです。

何を見るのか。

何に引っかかるのか。

どう考えるのか。

どんな言葉を使うのか。

何を面白いと思うのか。

そういうものの積み重ねが、その人の個性になる。

ところが、

「売れるタイトル」

「伸びる構成」

「離脱されない導入」

「反応される言葉」

「登録される導線」

と、既に結果が出たものへ全員が寄っていったら、誰が作っても同じようなものになっていきます。

見やすい。

完成度も高い。

無駄もない。

でも、

誰が作ったのか分からない。

売れるために最適化した結果、

個性が死んでいる。

私は、これが一番あかんのでは?と思います。

更に、AIに作らせた動画で、日本語が正しく発言されてないものを多く見かける。

それでは、個性的なせっかくの動画でも、面白さ半減です。

人の面白さは「無駄」の中にもある

誰かが遠回りしたこと。

失敗したこと。

変なところに引っかかったこと。

普通なら削るようなところを、なぜか残したこと。

他の人なら気にもしないところを、その人だけが気にしたこと。

そういうものが、その人にしか作れないものになるんだと思います。

でも、例えば、AIとマーケティングを組み合わせて、

「一番効率よく結果が出る方法」

ばかりを追いかけると、そういう部分は、

「無駄」

として削られていく。

結果、

見やすい。

分かりやすい。

売れやすい。

でも、

何度も似たような動画を目にするから面白くない。

誰が作ったのか?

ユーザー名を覚えてそこ見ないと区別がつきにくい。

そんなものが増えていく。

最近のAI情報動画を見て感じていた違和感と退屈さの正体は、多分、これだったんだと思います。

AIが個性を奪っているわけではない

だからといって、

「AIが悪い」

と言いたいわけではありません。

私もAIを使っています。

文章を書く時も、画像を作る時も、考えを整理する時も、かなり助けてもらっています。

AIは便利です。

本当に便利です。

でも、

AIが勝手に人間の個性を奪っているわけではない。

むしろ、

人間が「正解」を求めすぎて、AIに個性を削らせている。

そんなふうに感じています。

売れたものを分析する。

成功したものを集める。

反応のいい要素だけを抜き出す。

それをAIに、

「これらを組み合わせて、さらに売れるものを作って」

と頼む。

それを繰り返せば、確かに失敗は減るでしょう。

楽にもなるでしょう。

でも、その「楽」は、

誰かが先に苦労してくれたから成立している楽ではないのか。

そして、その効率化の中で、自分自身の個性まで失っていないか。

私は、そこも気になります。

それ、本当に「効率化」なんだろうか

ここまで考えると、

私は「効率化」という言葉そのものにも引っかかるようになりました。

効率化そのものが悪いと言いたいわけではありません。

無駄な作業は減らせばいい。

便利な道具は使えばいい。

AIも使えばいい。

でも、

自分の手間が減ったからといって、

それだけで本当に効率化したことになるのだろうか?

自分が削った手間を、

誰か別の人が負担しているだけかもしれない。

自分が取らなくて済んだリスクを、

別の誰かが背負っているだけかもしれない。

自分が楽になった裏で、

誰かの技術が失われているかもしれない。

誰かの個性が削られているかもしれない。

誰かの時間が、

無料の資源として使われているかもしれない。

だから私は、こう思います。

何を削って、誰から何を奪ったのかを見ない効率化は、効率化ではなく、コストとリスクを別の場所へ押しつけているだけ。

削ったものは、消えたわけではない。

誰かのところへ移っただけです。

それを数えずに、

「効率化しました」

と言うのは、あまりにも都合が良すぎると思います。

「違法じゃない」「みんなやっている」は、誠実であることの証明ではない

そして、こういう話をすると、

「法律で禁止されていない」

「罰則がない」

「違法じゃない」

という話になることがあります。

でも、

違法ではないことと、問題がないことは同じではありません。

法律で禁止されていなければ、

誰かの積み上げたものを、自分の都合のいいように使っていいのでしょうか。

そして、もう一つよくあるのが、

「みんなやっているから問題ない」

という理屈。

法律で禁止されていない。

罰則もない。

周りもやっている。

だから自分もやっていい。

でも、

みんながやっていることは、正しいことの証明にはならないと思う。

むしろ、みんなが同じ抜け道を使い始めれば、それが当たり前になり、

誰かが負担しているコストやリスクそのものが見えなくなっていく。

制度やルールの抜け穴を使って、自分の効率だけを最大化する。

そのツケは、別の誰かに払わせる。

そして、

「みんなやっているから」

で正当化する。

私は、そこにも強い違和感があります。

「違法ではない」は、誠実であることの証明にはならない。

法律は、人間の誠実さまで完全に決めてくれるものではないと思います。

「できる」と「やっていい」は同じではない

前の記事でも書きました。

AIは道具です。

便利な道具が悪いのではありません。

問題になるのは、

その便利さを人間がどう使うのか。

AIならできる。

短時間で似たものを作れる。

売れている作品を分析して、反応の良いところだけを取り出すこともできる。

複数の成功例をまとめて、さらに効率よく「売れそうなもの」を作ることもできる。

でも、

「できる」と「やっていい」は同じではありません。

誰かが時間と労力をかけて積み上げたものを、自分の時間と労力を節約するための材料として扱うのか。

それとも、そこから何かを感じ取ったとしても、

自分なりに考え、

自分なりに失敗し、

自分なりに試行錯誤して、

自分のものを作るのか。

そこには、やっぱり人間の誠実さが出ると思います。

AIが便利になればなるほど、

もっと効率よく他人の成功を利用する方法ではなく、

「自分は何を作りたいのか」

が、今まで以上に大事になるのかもしれません。

そして、伝統工芸でも、動画でも、画像でも、同じなのだと思います。

誰かが積み上げた時間を、ただの「使えるデータ」にしてしまったら、その先に残るのは効率よく作られた、似たようなものばかりになる。

それでは、つまらない。

そして何より、

見えている完成形だけを見て、その裏にある見えない蓄積を、無かったことにしてはいけない。

そこに至るまでの時間。

失敗。

試行錯誤。

微調整。

経験。

その人にしか分からない感覚。

そういうものまで含めて、その人が作ったものなんだと思います。

……などと考えながら、現在の私は、

Oracles BreathっぽいAI画像を見て、

猛烈にムカついております😑💢

偶然かもしれない。

証拠がないのも分かる。

似た表現になることがあるのも分かる。

理屈は分かる。

でも、

ムカつくものは、ムカつく。

そして何より、

誰かの苦労を、自分の「楽」に変えて、その成果だけ持っていく。

私は、やっぱりそれが嫌いです。

何より、誰か試行錯誤して作った個性を殺すような行為は、一番あかんと思ったりする。

関連記事:AIが便利になるほど、人間の「誠実さ」が試される

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